ニュースリリース

第64回マーケティングサロンレポート「中内功、たったひとりの革命」

第64回 マーケティングサロン:大阪
「中内功、たったひとりの革命」
日程:2017年8月24日(木)19:00-21:00
場所:梅田蔦屋書店 4th ラウンジ
講演者:石井 淳蔵 氏(中内学園 流通科学研究所 所長)
ゲストコメンテーター:石原 武政 氏(大阪市立大学 名誉教授)
クロストークナビゲータ:福井 誠 氏(流通科学大学 副学長)
サロン委員:廣田 章光・小宮 信彦

 
【サロンレポート】
サロン概要
 関西の毎年夏のマーケティングサロンは、「Choi LABO」と題し、マーケティング学会を非会員の方々にも広く知っていただくための場と位置付けています。
 第64回は、日本のマーケティング研究を常に第一線で牽引してきた石井淳蔵氏が、5月に出版された新刊、『日本の企業家6 中内功、理想に燃えた流通革命の先導者』(PHP社)の記念講演として開催いたしました。
 
石井淳蔵先生講演


石井淳蔵先生の講演

 中内功氏は、周知の通り、従業員数約10万人、売上総額5兆2,293億円のダイエーグループの創業者であり、中内学園流通科学大学の創立者でもあります。石井先生は、PHP社70周年記念の「日本の起業家」シリーズ発売にあたり、流通科学大学の前学長という立場で『日本の企業家6 中内功、理想に燃えた流通革命の先導者』を執筆され、この度出版をなさいました。本書は、第1部が中内功氏の詳伝、第2部が独自の論考、第3部が中内功氏のエッセイ等から構成されています。
 ただし、中内功氏は自身でも2冊の本を執筆しており、他にも300冊以上の関連著書があると言われます。そうした本に対して、石井先生は、中内氏がその生涯を通して、空前絶後「たった一人の革命」を主導し、その運動が一つの「渦」となり多くの人々を巻き込んでいったことに焦点を当てられました。その革命とは、「流通革命」、「流通理論の革命」、「教育の革命」、「社会思想の革命」であったと指摘されます。その生涯は、どのようなものだったのでしょうか。
 
ダイエー前史
 中内功氏は、1922年生まれ。実家は、神戸市兵庫区東出町に父・秀雄が開店したサカエ薬局を営んでいました。1939年神戸高等商業学校(旧神戸商科大学、現兵庫県立大学)に入学し、太平洋戦争の勃発に伴い、1941年12月27日に繰り上げ卒業となりました。卒業アルバムには、「今は悔いず 冬枯れの丘 駆け下る」という句を残しています。
 その後、1942年に日本綿花(現ニチメン)に入社しますが、1943年には関東軍に現役入隊し、満州を経て終戦までフィリピンでの兵役に従事します。大岡昇平の小説『野火』に描かれているような戦時下の極限状態を経て、おとなしい文学少年だった中内氏は、戦後にまったく異なる人生を送るようになった、と石井先生は言います。
 終戦後は日本綿花には戻らず、三宮闇市で生活を立てていた1947年に神戸大学に合格・入学したものの、1948年父が元町のガード下で友愛薬局を開店すると、その経営にのめり込みます。さらに現金問屋サカエ薬局を大阪平野町で大成功させ、その後、1957年に千林の店舗で開店したのが、ダイエー薬局でした。
 
「流通革命」と中内の知命元年
 1957年9月23日、大阪の京阪電鉄千林駅前に、社員13人、30坪のダイエー薬局が開店します。35歳の中内功氏が社長を務めました。開店記念の販促が大人気となり開店後3日間の売上は好調でしたが、4日目から業績が急降下。理由は、販促が需要を先食いしたことだけではなく、近所のライバル企業がダイエーに対抗して安売りを始めたことでした。
 壮絶な乱売合戦に追い詰められたダイエーは、早くも10月に店舗改装し、買回り品の薬だけではなく、店の半分には最寄品である食料品の取り扱いを始めます。11月に菓子を品揃えに加えたことがヒットし、人気を博したといいます。この方向転換は、弟の中内力氏が関係作りをした「丸和フードセンター」の阿部久男常務からの助言によるものでした。
 実は、この時代は、日本における流通革命前夜であった、と石井先生は言います。生協が革命の口火を切り、それに対抗する「主婦の店運動」の立役者となった吉田日出男氏が、1956年3月小倉で開店した、120坪のスーパーマーケット(SM)が、丸和フードセンターでした。
こうしてドラッグストアからSMへと衣替えをしたダイエーは、次にチェーン化を目指していきます。チェーン展開は、社員の誰も持っていなかったアイデアだと言います。多くの成功した小売店は、買いやすい品揃えにより購買額を上げ、坪当たり効率を改善する「繁盛店」でした。中内氏はこの「繁盛店」思考を否定し、「仕入の経済性」を重視し、「売り場面積の拡大」を目指すことを一人で主張しました。そのために、牛肉や、リンゴ、バナナといった、いずれも仕入のハードルが高く、しかし安く販売できれば大きな売り上げが見込める商品を直接に買付け、「単品・大量 計画販売」を推進していきました。
 そうした過程で、中内氏にとっての転機となった2つの気づきがあったと言います。
 一つ目は、シカゴで参加した全米スーパーマーケット協会の創立25周年記念式典で、小売流通の使命を説くケネディ大統領の言葉に、自らの天命を知ったこと。二つめは、それに続くアメリカのスーパーマーケット視察において、近代的経営の背後に「顧客志向」があることを知ったことでした。明治初期に福沢諭吉が「近代科学の背後にある精神を学ばなければならない」と説いたように、中内氏は、近代的な店舗施設や技術に感心しつつも、小売店舗の隅々にまで貫徹した「顧客志向の精神」を見通したと言えます。
 
「流通理論の革命」―伝統的流通理論との対決
 伝統的な流通理論では、商人の存立根拠を、商人の介在による流通の効率化に求めます。つまり、商人とは、「(可能な)あらゆる供給者から仕入れて、(可能な)あらゆる需要者に販売すること」によって「社会的品揃え」を形成し、流通経路が全体として効率化されることこそが本来の役目だと考えます。したがって特定のメーカーや取引先と組むことは、商人にとって致命的と言えます。しかし中内氏は自らの実践を通じて、これを否定していきました。
 「ファブレスメーカー」を標榜するダイエーは、農家・畜産家、メーカー、卸売商、(愛眼などの)テナント企業、(オレンジ合衆国などの)小売商、そして消費者と、直接関係を築き彼らを育てることで、商品自体を作り出していきました。これは、供給者と需要者の存在を前提に商人が登場する、という伝統的な見方とは全く異なります。中内理論は、ファブレスメーカーとしての商人が、自ら事業家を呼び込み、市場を創造する、という考えであり、その正しさを自らの実践で証明していきました。
 石井先生の新刊の中では、第二部でダイエーを創業時から支え、中内功氏の補佐役であった中内力氏が1969年1月に退社したことに焦点を当て、論考を加えています。両者はいくつかの意見の相違により袂を分ちますが、もし商純化を重視した力氏が社長であれば、ダイエーによる流通革命は全く異なるものだっただろう、と石井先生は言います。供給者と需要者の存在を前提とする、伝統的な流通論や商業論にとっての流通革命観は、いわば「流通簡素化論」と呼ばれるものでしたが、中内功氏は「単品大量計画販売」と「ファブレスメーカー(垂直統合)」という独自の流通理論を推進し、これまでにはない新業態の確立を通じて、流通革命を起こしたのでした。これは、市場を創造する商業者観であり、「市場創造論」と言えます。それはまさに、その後のセブンイレブン、ユニクロ、ニトリなどのビジネスの基盤を切り拓いた実践でした。

 
「教育の革命」と「社会思想の革命」―1940年体制に挑む
 こうした伝統的流通概念との決別は、中内氏の教育の革命にも反映されています。中内氏は、1979年に経団連に入会してからも、「ものづくりだけが価値を生む」と考え、流通業界の位置づけを低く見る発言に批判を展開していきますが、その後設立した流通科学大学では、メーカーと消費者を繋ぐ単なるパイプ役としての流通ではなく、市場を創造する商人としての流通のあり方をより明確に打ち出しました。既存の大学が、流通を経営学や商学の一部として扱うのとは異なり、経済学、経営学、商学などを包摂する、インターディシプリナリーな学問として「流通」を位置付けたのでした。
 同時に流通科学大学では、「個性主義」を明確に打ち出しました。これは1984年に、中曽根康弘首相の諮問機関である臨時教育審議会の委員に選ばれた際、強く主張したテーマでもありました。中内氏は、教育基本法にある教育の目的が「人格の完成」とされていることに対して、元々の英語の「the full development of personality」は、「個性の開発」と訳すべきであり「人格の完成」ではない、といって「画一教育」や「管理主義」に明確に反発します。
 こうした中内氏の思想は、より大きな視点は、戦前に革新官僚たちが作り上げた「1940年体制」への批判であった、と石井先生は整理しています。すなわち商工省次官であった岸信介ら官僚が作り上げた企業の「民有公営案」、そして「商」や「消費」を軽視する「生産者優先」主義への挑戦だったのです。
 
中内を支えた3つのデモクラシー
 こうして教育・社会に挑む中内の姿勢の背後にあったのは、「デモクラシー」概念であった、と石井先生は論じます。それは、①生活デモクラシー、②経済デモクラシー、③思想としてのデモクラシー、の3つがあった、と言います。
 中内氏が小売りチェーンの展開によって、一部の特権階級のみしか享受できない豊かさを大衆が享受する社会の実現を目指したのは、「生活デモクラシー」に対応します。さらに、新たな業態によって、製品製造業による一方的な見込み生産体制を、チェーンストアによる受注生産体制へと切り替えたことは、「経済デモクラシー」を目指す試みであったと言います。1980年代から「自主・自律・自己責任」の思想を教育分野に持ち込んだのは、自分たちの力で社会を構想し実現するという感覚、すなわち「思想としてのデモクラシー」を目指したものだった、と言えます。
 
【サロンを終えて】
 講演後は、流通・まちづくり研究の第一人者である石原武政先生、流通科学大学副学長 福井誠先生にも加わって頂き、流通、教育、社会の3つの革命に向けた、わたしたちが切り拓くべき未来について、会場の皆様とディスカッションを行いました。日本の流通政策や中内氏の人物像にもテーマが及び、活発な議論の場となりました。
 石井先生が描いた中内氏は、流通革命家であり、そしてまさしく思想の革命家でした。中内氏が、強固な既成勢力、深く根付いた社会思想、研究者の流通理論のいずれに対しても追従することなく、一貫した精神により、その生涯を通して妥協なき戦いを続けられたことは、実務者・研究者といった立場によらず、会場にいる多くの方の胸を打ち、講演終了後には、新刊書籍へのサインを求められる方も多くいらっしゃいました。
 

ディスカッションの様子
 
(文責:吉田満梨)

 
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