第202回マーケティングサロンレポート 新春特別企画「日本マーケティング本 大賞2024」大賞受賞記念マーケティングサロン 「黄色い本ができるまで ―― エフェクチュエーションはどのような実践か ――」 |
第202回マーケティングサロン:リアル・オンライン併用開催
テーマ:新春特別企画「日本マーケティング本 大賞2024」大賞受賞記念マーケティングサロン
「黄色い本ができるまで ―― エフェクチュエーションはどのような実践か ――」
日 程:2025年1月15日(水)19:00-20:30
場 所:事業構想大学院大学大阪校(グランフロント大阪)およびZoom使用によるオンライン開催
ゲスト:吉田 満梨 氏(神戸大学大学院 経営学研究科 准教授)
特別ゲスト:石井 淳蔵 氏(神戸大学 名誉教授 / 流通科学大学 名誉教授)オンライン参加
司会 / モデレーター:小宮 信彦(事業構想大学院大学 特任教授 / 株式会社電通 ソリューション・デザイン局 2025事業推進グループ統括/シニア・イノベーション・ディレクター)
サロン委員:小宮 信彦、清水 信年、相島 淑美、栗原 奈王子
【ゲストプロフィール】
吉田 満梨 氏
神戸大学大学院 経営学研究科 経営学部 准教授
2009年 神戸大学大学院経営学研究科 博士後期課程修了、首都大学東京 助教、立命館大学 准教授を経て、2021年より現職。専門はマーケティング論で、特に、新しい製品市場の形成プロセスに関心を持つ。
【サロンレポート】
吉田満梨氏による『エフェクチュエーション:優れた起業家が実践する「5つの原則」』(ダイヤモンド社)が「日本マーケティング本大賞2024」大賞を受賞したのを受けて、記念講演が開催されました。エフェクチュエーションとは何か、という理論の手ほどきに始まり、ご自身の経験を含め、丁寧かつ真摯にお話くださいました。
講演後に特別ゲストとして石井淳蔵氏が同書の感想および吉田氏への祝辞を頂戴しました。感謝申し上げます。
エフェクチュエーションとは
エフェクチュエーションとは熟達した起業家に対する意思決定実験から発見された考え方です。バージニア大学ビジネススクールのサラス・サラスバシー教授が提唱されました。きわめて高い不確実性に、予測でなくコントロールによって対処する思考様式を特徴としています。
エフェクチュエーションは非常に大きなインパクトをもった研究です。理由のひとつは、この理論が学習可能であるということです。もうひとつは、この理論は0→1で物事を起こす人たちという狭義の起業家だけでなく、シュンペーターのいう「アントレプレナー=企業者」すなわち「新結合の遂行者」に適用可能であるということです。(この2点については、後ほど具体的に述べます。)
コーゼーションとエフェクチュエーション~コーゼーションの限界
これまで経営学においては、目的にあわせた最適な方法を選択するというコーゼーション(因果論)という思考法が合理的で正しいと考えられてきました。コーゼーションにしたがえば、マーケットリサーチを実施し、競争分析を行い、最適な戦略、計画を策定し、その計画にそって整合的な実践を行います。こうしたコーゼーションの思考法は、もちろん非常に重要です。この思考法が使えるのであれば、使うべきだと考えます。一方で、それではうまくいかない場面があるのです。
コーゼーションの限界に関する疑問は、じつは2000年代に示されていました。私がアカデミアの世界の扉を叩いたきっかけにもなった、石井淳蔵先生のご著書『マーケティングの神話』(2004)には、合理的な考え方だけで進めるコーゼーション的なやり方は、一見理路整然として正しそうにみえるが、それは創られた神話にすぎない。と述べられています。外部環境に対して最善の適応を図るという因果論的な適応の論理だけで現実を捉えようとすれば、偶然が入り込む余地がなくなり、マーケターの現場での試行錯誤や創造的実践が過小評価されることを石井先生は看破されていたのです。
チェルネフは「顧客価値、企業価値、協力者価値の重なる部分」が最適な価値提案であると主張しましたが、実際には、最適な価値提案のありどころがわからない場合もあります。たとえば、伊藤園が1985年に発売した缶入り緑茶はその事例です。革新的な新製品でありながら、社内では「(日本人にとってお茶はただみたいなものなのに)誰が買うか?」といわれたそうです。当初は顧客価値がみえず、ニーズも明確ではなかったのです。
すでに成功していても、市場環境の変化で顧客ニーズが変化し、企業価値や協力者価値が低下することもあります。日光金谷ホテルは、日本最古のリゾートホテルでかつてはVIPの支持を集めていながら、設備の老朽化と過剰投資から経営が悪化し、「建物や調度品の雰囲気は良いのに」売り上げが低迷していました。大きな投資をともなう開発もできず、企業はステークホルダーにとっても価値が見いだせない状態でした。
伊藤園や日光金谷ホテルの場合、スタート地点で、顧客ニーズがあいまいで何をすべきか明確になっていませんから、コーゼーションの思考法ではうまくいきません。
エフェクチュエーションのプロセス
エフェクチュエーションの思考法では、目的がなくても手持ちの手段から意味あるエフェクトを見出すこと=実効性を重視します。スタートは、「手持ちの手段」です。自分は何者か、何を知っているか、誰を知っているかから始まり、そこで、何ができるかを考えるのです。うまくいくからやるのでなく、うまくいかないこともありうるが、失敗が許容可能ならばやる、という考え方です。こうして行動を起こすことで、既知の/新たに出会う人との相互作用が生まれ、パートナーシップが構築されます。仲間が加わることで、仲間の持っている手段も加わりますし、新たな目的も生まれます。最初は「個人として何ができるか」からスタートしますが、パートナーが加われば、「何ができるか」はより大きなサイクルとなり、新たな企業、新たな製品、新たな市場へとつながっていきます。
このサイクルを何度も繰り返していき、プロセスのなかで、予期せぬ手段が生まれたり目的が変更したりという事態も生まれますが、偶然をテコに、新たな行動を生み出していきます。重要なのは、エフェクチュエーションが、予測を必要とせず、コントロール可能なことのみに集中するということです。
ビジネススクールで教える場合は、自身でエフェクチュエーションを実践していただき体得してもらうようにしています。
エフェクチュエーション事例
1)伊藤園の事例
伊藤園の缶入り緑茶開発・市場導入プロセスは、エフェクチュエーションで説明可能です。結果として、伊藤園は他社を巻き込んで市場拡大に成功しました。40%という圧倒的市場シェアを確保しています。
2)日光金谷ホテル
経営危機のホテルを救うキーマンとなったのは小山薫堂氏です。この事例もエフェクチュエーションで説明できます。企業価値(日光金谷ホテル、小山氏)、顧客価値、協力者価値(従業員)が高まるという結果がもたらされました。
自身のエフェクチュエーション体験
エフェクチュエーションは「自分ゴト」として体験しないとわかりにくいかもしれません。いいかえれば、体験するとよくわかるということです。私が今回の入門書を書くことができたのも、エフェクチュエーションを実践した成果です。多くの方々が仲間になってくれて、できることが大きくなっていきました。
もともと私は「新市場創造プロセス」に関心がありました。その一環として伊藤園「おーいお茶」の研究に取り組んでいましたが、この事例をうまく解明できる理論が見つからず、どうしたものかと悩んでいました。トップジャーナルを片端から読みあさるなかで、サラスバシー先生(チーム)の論文に出会いました。「こんなすごい論文があった!」と夢中で書いた論文を、栗木契先生が読みおおいに注目してくださいました。石井淳蔵先生の『マーケティングの神話』との親和性を指摘され、「碩学舎から訳書を出したら」というご提案をいただいたのもそのときです。
2015年に訳書『エフェクチュエーション:市場創造の実行理論』を刊行しました。その後、リサプロで報告した際に、関西学院大学専門職大学院(IBA)教授(当時)佐藤善信先生が興味を持たれ、IBAイノベーション研究会(代表は同大学院教授玉田俊平太先生)に紹介してくださいました。ポジティブな反応をいただき、2017年IBAでエフェクチュエーションをテーマにした初の授業が開設されることになりました。それをリサプロ祭で報告しますと、実践者からのフィードバックを得ることができ、エフェクチュエーションは国内大企業の経営者たちにも広がっていきました。
文科省のプログラムでサラスバシー先生が来日された際、日本での実践事例をお伝えしたところ、理論の日本独自の展開に興味を示してくださいました。そのとき開催されたワークショップに参加した実践者の仲介でAPU学長の出口治明氏にお会いする機会を得ました。同氏に「入門書を出したら」と薦められ、ダイヤモンド社をご紹介いただきました。企画は無事採用されましたが、私の事情で仕事が止まってしまいました(許容不可能な損失です)。大きな理由は、自分の理論でもないのに入門書を書いていいのだろうか、やるべきではないのではないか、という逡巡でした。とはいえ、入門書がほしいという声があり、ゲスト講師に来ていただいていた中村龍太さん(サイボウズ執行役員)から「一緒に入門書を書きませんか」というご提案があったことで、プロジェクトが再開し、2023年刊行の運びとなりました。
いずれの場合も、力になってくださったのは、自分からはたらきかけたのではなく、予期せぬ形で現れたパートナーでした。マーケティング学会で高い評価をいただいたことも、マーケティングにおけるエフェクチュエーションの実践に多くの人たちが共感し、重要性を感じてくださった結果だと思います。この賞のおかげで、エフェクチュエーションが起業家のものではなく、価値創造を担うマーケターの理論としても広まるのではないかと考えております。
エフェクチュエーションのサイクル
エフェクチュエーションでは、手持ちの手段を用いて、許容可能な損失の範囲で、自分にとって意味ある行動を起こします。行動を起こすことで、ほかの人々や予期せぬ事態との相互作用が生まれます。大事なことは、次のサイクルで外部環境の要素を取り込み、コントロール可能な要素を拡大することです。そこで起業家はパートナーとともに、拡張された手持ちの手段と許容可能な損失の範囲から、拡張された意味ある行動を起こし、外部環境からより大きなフィードバックを得ます。こうして、エフェクチュエーションは熟達し、サイクルが回るたびに実効性が拡大します。想像もしえなかった結果につながっていくのです。
結び
コーゼーションは合理的でエフェクチュエーションは合理的でない、といわれますが、そうではなく、予測可能な状況におけるコーゼーションに対して、エフェクチュエーションは予測できない状況で合理的に試行錯誤を行うプロセスを導き出す思考法であると考えられます。
エフェクチュエーションの実践は、自分にとって意味があり、誰かの価値にもつながる、新たな行動の創出を可能にします。エフェクチュエーターの行動は、自分(たち)の内部に存在する資源、思い、価値観、制約を反映するため、自分にとって意味がある行動です。ですが、それだけだと利己的な行動になってしまう。そこで、他者の世界に存在する資源、価値観、制約を継続的に反映して、意味ある行動をアップデートしていくのが、エフェクチュエーションのプロセスです。自分と他者、どちらか一方に寄せるのではなく、自分の世界と他者の世界のインターフェースに新たなデザインを生み出す(利己的な利他主義を実現する)ことで価値を創造する。それを言語化したのがエフェクチュエーションであるといえるでしょう。
石井淳蔵先生のコメント
吉田先生おめでとうございます。ご著書「はじめに」を読み、目からうろこが落ちた思いがしました。そこには「次のような方々に」読んでほしい、と書かれています。とくに「第2」と「第3」に注目しました。「第2に、起業家やイノベーターのように、新たな価値を創造する人びとへの憧れはあっても、自分にはできないと感じて、なかなか行動に踏み出せずにいる方々」に向けて書いた、とあります。何かやりたい、と思ったとして、誰しもがそれにチャレンジできるわけではありません。実際のところ、諦めてしまう人が多いでしょう。そうした人たちに、ある種の勇気を与える一文だと思います。多くの読者たちが、「自分にもやれる」という勇気を受け取ったのではないでしょうか。
もうひとつ「第3に、エフェクチュエーションの学習・教育に何らかの関心を持つ方々」に読んでほしい、と。経営に関する本は数多ありますが、学習・教育まで配慮した本はあまり多くありません。吉田先生が教育学習を行った積み重ねの成果である、とこの一文を読んで感じました。書いて終わりでなく、延々続くプロセスになっていることを知りました。
最近、『岡田卓也の時代――公器の理念が支えた静かなる流通革命』(碩学舎)を出版しました。この本では、岡田さんのやり方、その歴史を、日本的経営の特質や感性、感覚を暴き出す素材と捉えています。執筆中はあまり注目していませんでしたが、いまお話を聴き、じつはエフェクチュエーションと非常に関係が深いことに気づきました。
当時のリーダーたち、中内功、伊藤雅俊、堤清二らは自分がボスとして組織を完全に支配するスタイルで会社を経営していましたが、岡田さんは違いました。全国のローカルスーパーに大同団結を呼びかけ、連邦制経営によってジャスコを大きくしました。(イオンの設立につながっています。)これはエフェクチュエーションのプロセスであると考えられます。というのも、1970年代、オカダヤは上位20位に入らない企業でした。弱者であれば仲間を募り団結するしかありません。岡田さんははじめから意図的に戦略を組み立てたというよりも、自分の手の中にある弱者という要素をどう生かすかを考え続けたなかで、連邦制経営という方法を生み出したのでしょう。
エフェクチュエーションという思考法は世の中に受け入れられやすいとはいえません。一般の人は、何を達成するかが明確なコーゼーションを正しいと思っていますから。しかし、コーゼーション、合理主義だけではうまくいかない。広がりにくいかもしれなくても、エフェクチュエーションの思考法は重要な意味を持っている――私はそう確信しています。
【サロンを終えて】
講演後には、エフェクチュエーションの実践について、活発な質疑応答が行われました。問いに応える形で吉田氏が述べた言葉が印象的でした。引用しますと――「私の〈何ができるか〉はパートナーのおかげで拡大していきました。私のアイデンティティ、価値観は一貫しており、〈私は誰か〉という部分は変わらないのですが、そのかぎりにおいてパートナーや目的が拡大していったと感じています。今回の入門書の執筆の段階では、研究者として本を出すべきか出すべきでないか、コンフリクトに苦しみました。アイデンティティがゆらぎ、前に進めなかった時期もあったのですが、その後出版にいたる段階で、アイデンティティ自体が拡張していく感覚を味わいました。やりたいことや目的が固定した状態にあると、パートナーを増やしてもコーゼーション的になってしまい、うまく広がりません。大事なのは、アイデンティティのゆらぎがあったとしても、それをパートナーとの相互作用によってアップデートしていき、いわば〈私は誰か、私は何ができるか〉から〈私たちは誰か、私たちは何ができるか〉とより大きな目的を描いていくことではないでしょうか」。
偶然によって集まった人たちとともに、〈私たちは何ができるか〉をより大きくしていければ、成果のみならず人生そのものがより豊かになる。それはマーケティング(サロン)の理想にも通じるかもしれません。
(文責:相島 淑美)