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研究報告会レポート

第12回医療マーケティング研究報告会レポート「医療マーケティング―病院再建の視点から―」

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テーマ:「医療マーケティング―病院再建の視点から―」
日時:2017年2月12日(日)9:30-11:30
場所:川崎医科大学総合医療センター 5F カンファレンス室1
 
 第12回研究報告会は猶本良夫先生がコーディネーターを務め,川崎医科大学総合医療センターのカンファレンスルームで実施されました。自治体病院の再建ストーリーから、非常時のリーダーシップ、人材育成まで熱心な議論がなされました。

 

解題(9:30-9:35)
川崎医科大学総合外科学 教授
川崎医科大学総合医療センター 院長代理
猶本 良夫

 人口減少、特に生産人口が減少していく経済の環境下では、どこの病院も限られた財源の中でどのように病院を運営していくか、悩んでおられます。豊岡先生は、大手鉄鋼会社に入社後、製鉄所での労務管理、外注管理等の業務を経て、海外プロジェクトに従事されました。その後、同企業を母体とする病院の再建に携わり、そこで病院経営に目覚められ、公募で橋本市民病院に移るや辣腕を振るわれました。昨年4月からは新しくなった岡山市民病院に赴任され、この激戦地で手腕を発揮されておられます。自治体病院の再建が軸となる今日の話で、明日の病院経営に対するヒントを得ることをできればと思います。
 

講演(9:35-10:35)
橋本市民病院の経営改革 ~自治体病院の新しい経営改革モデル~

地方独立行政法人岡山市立総合医療センター
法人本部事務局長 兼 岡山市民病院 事務部長
豊岡 宏

 今日は私の前任地で、4年を過ごした和歌山県の橋本市民病院での経験を中心に、自治体病院の経営改革モデルについてお話をしたいと思います。最初に、本日の概要を述べたいと思います。病院経営の根幹は医師の確保だと思いますが、臨床研修制度の改定以降、都市部に医師が集中することになりました。地方の病院では医師の奪い合いになっており、その中でも自治体病院は、医局からの派遣、直接採用ともに条件面で厳しい局面に立たされています。ごくまれに経営に成功されている病院もありますが、カリスマ院長のリーダーシップや、建物などの取得単価が低い、周囲に競合が少ないなど特別な要因があるところだけです。橋本市民病院は、その他の自治体病院と同じように経営が苦しく、私よりも高齢の院長先生が当直をなさっているような状況でした。こうした普通の中小規模の病院であった市民病院が、経営再建と医師確保で一定の成果を挙げることができましたので、その道筋を紹介し、関係する皆さまの参考になればと思っています。
 橋本市は和歌山県の東北端、大阪と奈良との境、高野山のふもとにあります。和歌山県に7つある2次医療圏の1つである橋本医療圏を中心に、300床の規模で、独立行政法人ではなく市立病院として運営をされていました。平成16年に建物に100億円、医療機器に40億円という巨額な投資をし、その影響で平成17年には年間売上40億円に対し、13億円の赤字を計上するという、文字通り倒産寸前の状況でした。
 経営改革がスタートするまでの橋本市民病院の状況を簡単に説明します。職員数に定数があるために採用は制限され、高コスト体質で、医師不足もあって赤字が継続していました。例外的に平成23年のみ市の補助金と減価償却費の影響で黒字となりましたが、赤字は構造的なものであり、今後は医療機器や設備の更新、改修に伴って減価償却費はさらに増すことからも厳しい状況で、やはり抜本的な改革をするしかないのだと思いました。
 平成16年に大型投資をする以前は年間5000万円から1億円程度の赤字でしたので、大型投資後も何とかなるのではないかと思っていたようですが、毎年10億円程度の赤字は続いていました。例外的に黒字になった年に、損益改善が何によってもたらされたのかを分析してみると、収入増などの自己努力は4割で、残りは補助金の増加や減価償却医費の減少といった他力によるものでした。
 構造的な問題点の1つは、自治体病院には職員定数の制約があることです。病院職員とて自治体職員ということで、自治体は人を増やさないという総務省の方針が適用されるからでした。300床に300人という定数のために、7対1看護基準を取得できず、リハビリテーション技師も10人しかおらず、満足なサービスを提供できていませんでした。もう1つの問題点は高コスト体質で、建設費は民間の3倍、医療機器購入価格は1.5~2倍、人件費は医師が低くて、その他の職種は高く、結果的として全体では高くなっていました。また、薬剤、材料などの間接コストも1.2倍程度高いものでした。橋本市民病院が目指したものは、地方の中小規模自治体病院としての医療の質向上と経営の再建をし、その他多くの同じような自治体病院のモデルとなるものでした。その実現に必要となる4つの視点として、(1)タテマエや規制概念にとらわれず病院の現在の実態と実力を踏まえた現実的な対策、(2)病院のやりたい医療ではなく、国や地域から求められている医療、(3)自治体病院とて赤字は許されず、採算と施策を両立させる、(4)どのような困難でも必ず解決できる、黒字化できるという信念、を掲げました。
 では、具体的に何をしたのか。個々の改革をする前に、体制の整備をしました。私が着任する前は、副院長以上の医師、看護部長、事務局長等で構成される月1回の病院最高幹部会議が唯一の意思決定機関でした。意思決定の迅速化を図ろうと、メンバーを入れ替え、頻度も週1回に変更しました。事務局長のリーダーシップを確立するために、人事異動を断行、また、事務局機能を強化するために経営企画、購買、人材採用、患者の苦情対応などの部門にアウトソーシングを積極的に活用しました。また、病床稼働率などのデータが2カ月遅れて出てくるような状況でしたので、これをリアルタイムで現場に提供し、必要な対策を協議できるようにし、病院の意思決定も迅速に周知、徹底できるような体制を構築しました。
 橋本市民病院にとっては初めて経営コンサルティングの会社に入ってもらい、DPCデータの分析から課題を検討してもらいました。病棟は急性期一般病床のみであり、機能が分化されていませんでした。超急性期、急性期、回復期の患者が一般病棟に混在しており、病棟の現場では、特に夜勤時の看護師の負担が大きくなっていました。また、補助金を受けて建設途中であったICUについて調査したところ、ニーズが少ない上に医師の増員が必要でした。さらに、入退院管理が出来ておらず、DPC入院期間IとIIの患者が全体の50%しかなく、これは60%を超えないと黒字ならないと言われていました。医療スタッフが雑務に忙殺されており、本来業務に専念できる体制になっていませんでした。
 対策として、建設中のICUをHCUへ変更し、一般病棟の一部を地域包括ケア病棟に切り替えることで院内の機能分化を実施し、看護師の負担軽減、病床稼働率の底上げ、単価の上昇、看護基準の変更を図りました。これによって、看護部が味方についてくれました。病院再建で看護部が敵に回ると強大な抵抗勢力となりますが、橋本市民病院では最後まで私にとっての支援勢力であってくれました。地域包括ケア病棟への切り替えは、病床稼働率の底上げ、安定化と、それによって浮いた看護師スタッフの定数をリハビリテーションのスタッフに切り替えることができるという2つの効果がありました。
 その他に、この際だから徹底的に改革に取り組もうということで、例えば、自治体病院の存在意義ともいえる救急医療では救急車の受入率が50%前後に止まっていることから、救急科を新設し、断らない体制を構築するといったことを実施していきました。こうした改革を実行に移すため、病院長をヘッドとする経営改革プロジェクトを立ち上げ、テーマごとに12のワーキングチームを設置、職員300人のうち100人に参加してもらうなど職務横断的に多職種に入っていただき、事務局は委託会社のメンバーにサポートしてもらいました。
 次に医師不足をどう確保するか、という課題について紹介します。県内唯一の医大である和歌山県立医大は同じく厳しい状況で、橋本市民病院の事情を理解してくださっていましたが、現状以上を望むことは難しい情勢でした。病院独自の新しい確保策が必要だと思いました。医師が集まらない理由を分析すると、臨床研修制度下では都会の民間病院の教育プログラムが充実していること、自治体病院ゆえ給与含め待遇面での制約が大きいこと、そもそも立地が地方であることが考えられました。平成25年には当院独自に医師海外留学制度を立ち上げましたが全く反応がなく、病院単独の制度では難しく、提携が必要であると考えました。そこで都会から地方に若い医師を引き付けるだけの魅力ある教育プログラムを、その道のプロと提携して構築・実施するという方針のもと、全く新しい医師採用の仕組みを2つ検討しました。1つは京都の認定NPO法人iHoopと提携した橋本市民病院臨床研究支援プログラムで、もう1つが日米医学医療交流財団と提携した大リーガー医育成プロジェクトです。
 結果がどうなったか、見ていきたいと思います。平成26年4月以降、HCU稼働、救急科新設、地域包括ケア病棟の稼働、実質250床体制でスタートしました。最初の月で1日平均入院患者数が228人、収入は前年同月比1億増のロケットスタートとなりました。半年後の10月には、年度損益が黒字と予想できるまでになりました。薬剤のジェネリック化、看護補助加算取得、リハビリ搬送業務の担当替えなど手を打ち続け、平成26年度決算では1億1800万円の黒字となり、前年より4億6,000万円の改善となりました。全身麻酔手術は737件から859件と17%アップ、DPC期間II以内の退院患者も51%から62%へと増え、単価は7%上がり、入院収益は14%増加しました。人件費率は56%から52%、委託を含めても64%から60%へと低下しました。4億6000万円の収益改善のうち98%、4億5400万円が経営改革の成果でした。
 採用に目を向けますと、2年間に医師は44名から49名となり5名の採用に成功しました。紹介会社経由で1名、臨床研究支援プログラムで3名、大リーガー医師プログラムで1名でした。看護師については、実質5か月間で看護師不足を解消しました。
材料購買の改革もしました。職員定数の制約のため、購買に多くの要員を投入できない状況でした。また、公務員はコスト削減という結果よりも手続き上の公平性と透明性の担保を重視しており、勤務成績評価とコスト削減を結び付けるようなシステムがなく、インセンティブが働きません。コスト感覚を身に着けることは難しく、結果、価格が硬直、高止まりしていました。薬剤は交渉相手が少ないので私が担当しましたが、材料は取引先が多岐に渡り、対応しきれませんので、SPD業者に権限を委譲する代わりに削減ノルマを課す、一括調達方式による購買コスト削減を実施しました。
 まとめに入ります。キーワードはアウトソーシングだったと思います。今回の経営改革の特徴は、その多くを「その道のプロ」の委託会社に頼った経営改革でした。職員定数の制限により事務局も質・量ともに不十分でしたので、経営改革遂行に必要となる膨大な事務処理も外部のプロに頼りました。医療スタッフが抱える付帯業務も委託会社にアウトソーシングすることで、医療サービスを充実させ、診療報酬の増加に繋げました。アウトソーシングする上で心がけたことが3つあります。まともな、その道のプロの委託会社を選ぶこと、委託会社を病院経営のパートナーとして扱うこと、彼らが働きやすい環境を整えることです。
 橋本市民病院でやった経営改革は何も難しいことをやったわけではありません。私のように結果を出さなければならない立場にあれば、やろうと思えば誰にでもできることばかりです。しかし、改革をしようとすると必ず反対が起こります。これは仕方がないことで、100%は味方にできなくても、その反対を押し切って、決断、実行をし、結果を出せるか、それが問われていると思います。生まれながらのリーダーはいません。誰にもやってくる、その時に備えて実力を蓄え、そして結果を出すことができた人が、リーダーになるのだと思います。
 

ディスカッション(10:35-11:30)
司会 昭和大学大学院保健医療学研究科 的場 匡亮

 経営改革前後でスタッフがどのように変わったか、について議論がなされました。決めない、リスクを取ろうとしないという職員たちが、改革後には経営に対する感度が高まったこと、地域の医療機関や医師会との連携に前向きになったとのことでした。さらに、組織が一つになったエピソードが紹介されました。リハビリテーション技師の生産性を高めるために、患者搬送業務を移管するという課題に対して、事務職員に白羽の矢が立ちましたが、出来ない理由を並べ立てて皆反対だったそうです。経営改革が定着するかという正念場の時期であったので、まず豊岡氏が手を挙げ、委託会社のトップに協力を仰ぎました。さらに、看護部から1名、院長夫人、豊岡氏の夫人もが協力してくれることになりスタートすると、その評判が院内に知れ渡り、副院長や事業管理者なども協力を申し出てくれたそうです。最終的にはアルバイトに切り替えるまで、当初反対していた事務部門も含めて院内が一つにとなって搬送にあたったとのことでした。豊岡氏からは「これは自分の仕事じゃない、と皆が言うような組織であれば、経営改革が本当に成功したとは言えない。皆でやるようになってこそ、どんな問題にも立ち向かうことができるようなる」、という力強いメッセージが発せられました。
 
研究会を終えて
 自治体病院独特の制約の多さ、複雑さを乗り越えて4年間という短期間で再建を成し遂げたエピソードは、理論的な裏付けと豊岡氏の情熱が混ざり合った、非常に迫力のあるものでした。少人数のアットホームな雰囲気の中、経営改革の下地作り、中期的な経営ビジョンから議会対策まで幅広く議論をすることができました。本年度の研究会はこれで最後となります。来年度も研究会を継続し、議論をしてまいりたいと思いますので、引き続きのご支援のほど、よろしくお願いいたします。
 
(文責:医療マーケティング研究プロジェクト リーダー 的場 匡亮)

 
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